どん底あるいは青い鳥。
Walk in solitude, though you live in society.--J.Krishnamurti
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謎の大王 継体天皇
「謎の大王 継体天皇」を読む。思いのほか面白かった。継体天皇は応神天皇から5世も下った傍系だったため、万世一系説には一種の脅威であるらしい。越後もしくは近江の豪族だった可能性もあるとか。ただし「謎の大王」の著者は、継体はやはり「傍系ながらも王族」としている。
読むうちに「日本の天皇というのは、やはり通常の支配者とは違うわい」という思いを強くした。「たとえ5代遡ってでも、いずれかの天皇の血を引く者を」という、天皇家以外の人間が見せる、天皇の血筋への過度の執着。日本の「イエ」では、養子も入り婿も何でもアリなのに、天皇だけはそうはゆかない。
著者もまた、結論として以下のように書いている。
武烈の死後王族が絶えかけたとき(日本書紀によれば)遠く越前にいた五世王の継体をわざわざ捜し出して即位させたことから、いかなる場合でも天皇家以外の人物が即位してはならないという思想…抜きん出た勢力のある臣下の者がいたとしても、かれは絶対に皇位に即いてはならない。
やはり天皇家というのは「昔々には数ある豪族の一つであり、力の論理で支配者となった」のではないのだろう。力で支配者になれるのであれば、隙に乗じて自信のある豪族が名乗りを上げるはず、なのに誰も、そんなことはしない。無理やり宮に乗り込んで「今日からオレ様が天皇だ」と言ってもダメである。
豪族連から頼まれた継体天皇は、即位をいったん辞退している。跡継ぎの消えた理由が王家内での殺し合いであれば、警戒するのも当然だろう。しかし「一度は辞退」するあたり、やはり日本の天皇というのは「なりたいと望む者が、強大な力を蓄えてなる/喜び勇んでなる」ものではないようだ。
即位を嫌がった人は結構いた。継体の前に候補に挙がった「倭彦王」は、迎えが来たら逃げてしまった。清寧天皇の没後にも、播磨で見つかった2人の皇子が、即位を互いに譲り合っている。これらの皇子の実在性はともかく、そうしたことは、要するに「ありがち」だったのだろう。
やはり天皇とは、外国の皇帝などのように、力によって外部から挿げ替わる類のものではないらしい。だから「継体豪族説」はありえないし、日本人のルーツも「騎馬民族」などではない(たぶん)。異民族による征服の歴史があれば、天皇という地位もまた、力で奪い得るものになるはずだ。
継体天皇の「運用のされ方」は、現代の天皇によく似ている。継体を天皇にしようと決めたのは、中央で政権を握る豪族たちである。この豪族たちが「磐井の乱」と称して「筑紫の君」を征伐しているが、その際の理由は、他ならぬ「天皇に従わないから」というものだった。
この御世、竺紫君石井、天皇の命に従はず、無礼多し。故に、物部荒甲之大連、大伴金村連の二人を遣して、石井を殺しき。
筑紫の君が討たれたのは「天皇に背いたから」で、天皇はここでは「逆らうことの許されない」錦の御旗となっている。
その継体天皇が、亡くなる間際に、自分の長子に天皇の位を譲った。ところがこの安閑天皇は、早々に殺害されてしまう。「次は安閑」という継体天皇の意志はないも同然である。豪族たちに都合の悪い「天皇の意見」は、今も昔も無視される。
すでに継体の当時から、天皇には政治的な権力はなかった。皇太子の指名を含め、すべては豪族たちの合議によって決められた。こうした合議制は継体の世にはじまったと著者は言うのだが、合議自体はこの頃からでも「下が上を操作する」という「日本性」の歴史は、遥かに古いものだろう。
権力の外にいるといっても、天皇はもちろん、いなくてもいい存在ではない。世継ぎが見当たらなければ、豪族たちは何が何でも天皇家の血を引く人間を探す。継体のように遠い傍系しかいない場合には、皇女との婚姻によって、その「血」を強化させたりもする。
即位の際に継体は、前々王である仁賢天皇の娘を后にしている。明治天皇の弟?の子孫を愛子さんと結婚させて、天皇にするようなものだろう。継体の息子二人も、やはり仁賢の娘を娶っている。「傍系だった継体一族」に「王家の血」を注ぐかのようである。
思えば天皇には姓がない。天皇家は「イエ」ではない。守られるべきは「血」なのである。そのように「血」を重んじるわりには、皇族が都に集積したり、政治に関わる気配は(継体の頃には)ない。継体と同様、みな地方にバラバラに飛ばされる。王の血が力を持たぬようにという、豪族たちの配慮だろうか。
権力機構からは排除されながら、権力の具現のためには不可欠の存在。「権力なき統合の象徴」という天皇の性格は、少なくともこの1500年変わっていない。日本人自体もまた、1500年間変わらなかったということか。
さて、天皇の「血」は、明らかに特別である。だが、どんなふうに特別なのか。少なくとも、力ではない…などと考えるうちに「もしかして、外国人なのでは?」と、トンデモなことを思いつく。
もともとが外国人であれば、政権を任せるわけにはゆかないだろう。外国の、貴重な王家の血筋であれば、絶やすまいと苦心するのも理解できる。単なる異人なら辺縁へと排除されても「貴重な異人」となれば、集団の「上方へと排除」されることもありそうである。
継体前後の時代には、天皇の后を多く出す一方で、大臣などは輩出せず、政権中枢とは無縁だった氏族が複数存在したという。あるいは、そうした氏族のルーツもまた外国にあり、天皇における「貴重な血」を保つためのプールとして機能したのではないだろうか。
「外国」の第一候補は、もちろん百済である。天皇自身にも豪族たちにも「天皇のルーツは百済」という自覚が当時にあったとすれば「(勝ち目もなさそうな)白村江の戦いの際に、なぜ斉明天皇自ら九州まで出張ったりしたのか?」の説明などはつくように思える。
この「天皇百済起源説」なるもの、韓国を中心に何と実在するらしい。日本人は鼻で笑うが、仁徳天皇陵から百済製の鏡が出たり、七枝刀とかいう変ちくりんな国宝も百済製だったり(参照)、桓武天皇の生母は百済の武寧王の子孫だったりと、繋がり自体は確かにあったようである(参照)。
日本国の象徴である天皇が、そもそもは外国人…心の根底が、何かしら揺らぐような気もしないではない。だが、一方ではそれは、古代のロマンである。いにしえの日本人は、外国の、百済(の王族?)を、どういう目で、どういう気持ちで見たのだろう。
憧れか、優越か、受容か、排除か。ある国の政治中枢が、その国の象徴として外国人を据える――そんなことがありうるだろうか? さて、どうなのだろう。
2006-01-04 (Wed) | 記事URL | 読書・鑑賞系 | COM(1) | TB(0) | ▲
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