http://info.pref.fukui.jp/keitaidaio/history/index.html
継体大王を知ることができる書物は少なく、『古事記』『日本書紀』『上宮記』の三書のみでそれ以外は伝承や考古学的な資料のみである。
『日本書紀』によると、「父・彦主人王は母・振媛が顔きらきらして、大変美しい人であることを聞いて三国(みくに)の坂中井(さかない)(福井県坂井市)へ使いを送り、近江国高島郡三尾(みお)(滋賀県高島市)の別業(なりどころ)(別荘)に召し入れてお妃(きさき)とした。」と書かれている。2人は、滋賀県高島市の三尾で結婚し、その後に生まれたのが男大迹王(おほどのおう)(後の継体大王)である。
男大迹王が生まれて間もなく、彦主人王は亡くなってしまう。そこで振媛は「私は今遠く故郷を離れてしまいました。ここには親類縁者もなく、私一人では養育することができません。越前国高向(たかむく、坂井市丸岡町高田付近か)に帰って親の面倒を見ながらお育てしたい。」と言い、幼い男大迹王を連れて高向に帰った。
坂井市丸岡町高田には高向神社が建てられており、この付近に高向の宮があったと推定される。
継体大王は、『日本書紀』によると西暦507年に58歳で即位したとあるので、逆算すると西暦450年前後に越の国(福井県)に入り、即位するまでの50年余りを過ごしたことになる。
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